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★ 人体にしみる汚染 ★
〜 有害物質母から子供に 〜
 
 「あれっ」
 東京大大学院助教授(環境システム学)の吉永淳さん(45)は、データを前に首をかしげた。1980年代後半に生まれた子供の乳歯から鉛が検出された。同位体分析で、車の有鉛ガソリンに含まれる鉛と同種とわかったのだ。
 自動車排ガス公害で知られた東京・新宿区の柳町交差点。70年5月、付近住民の血液から、通常の濃度の7〜8倍の鉛が検出された。高濃度の鉛は健康に悪影響をもたらす。
 交差点は、すり鉢状の地形の底にある。通り沿いの店はガラス戸を閉め、買い物客は鼻をハンカチで覆って歩いた。「嫌なにおいだった。せきやたんの症状を訴える人が多かったね」と、地元町会長の橋本公雄さん(79)は振り返る。
 住民の鉛汚染の原因と疑われたのが、車の有鉛ガソリン。その後規制が進み、80年代後半には、国内から完全に姿を消した。
 その成分が、乳歯から検出されたのはなぜか。二つの可能性が考えられた。母親に蓄積されていた鉛が、血液からへその緒を通じて胎内にいた子供へ移った。あるいは、排ガス中の鉛が土や砂に蓄積し、これらを子供が吸い込んだりなめたりした−。
 その後、吉永さんは乳歯を集めはじめ、いま手元に90年代後半生まれの子供のものまで20本ある。母親からか、砂場などの土や砂からか、汚染ルート解明の技術が開発されれば、すぐ解析に取り組むつもりだ。
 吉永さんは「規制後に生まれた子供の乳歯から検出されたといっても、80年代までの欧米に比べ、10分の1以下の濃度。問題視する水準ではない」としながら、「鉛は、低レベルでも健康被害が懸念される。汚染の程度やルートの研究は重要だ」強調する。
 近畿大名誉教授(法医学)の吉村昌雄さん(79)は、大阪府監察医事務所長だった73年、病死した女性のお腹の中にいた胎児を解剖した時の驚きが忘れられない。皮下脂肪中のポリ塩化ビフェニール(PCB)濃度が、母親に蓄積している分の60%に達していた。
 旧厚生省の依頼で、人体内のPCB濃度を調べ始めて2年目。当時、PCBが混入した米ぬか油による中毒事件(カネミ油症)が世間を騒がせ、母親のPCB汚染の報告もあった。電気を通しにくく燃えにくいPCBは、高圧コンデンサーや絶縁材など用途が広く、国内では70年代半ばまでに約5万4000トン使用された。
 PCB北極圏に住む少数民族イヌイットやホッキョックグマを汚染しているという調査結果が相次ぎ報告され、懸念が高まった。2001年には、残留性の高い有機汚染物質の製造、使用を禁ずる「ストックホルム条約」が採択され、PCB規制は世界的に強化された。
 第1子を出産した女性の母乳に含まれるPCB濃度を72年から毎年調べている大阪府立公衆衛生研究所によると、近年は平均濃度が当初の5分の1以下に減った。しかし、計8種類の有害物質の中ではPCBの減り方が最も小さく、残留性が高い。
 吉村さんは「規制がしかれても、環境からその物質がすぐ消えるわけではない。人の体には残り続ける」と言う。
 私たちの身近にある有害物質は、いったん体内に取り込まれると、長く蓄積され、世代を越えて受け継がれる恐れもある。健康被害がわかって規制がとられ、一件落着−とは簡単にいかない。人体にみる汚染について、改めて考える。
【読売新聞/2006年12月26日 社会面より】

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